アルゼンチン危機

読み方: あるぜんちんきき
英語: Argentina's Crisis
分類: 金融危機

アルゼンチン危機は、南米のアルゼンチン共和国において、何度も繰り返される金融・経済危機をいいます。

1816年にアルゼンチンがスペインから独立して以降、加速度的な発展と凋落を繰り返す「特異な歴史(パラドックス)」に起因するとも言われており、実際にアルゼンチンは何度もデフォルトを繰り返し、危機に陥っています。

ここでは、世界的に注目される「アルゼンチン危機」について、簡単にまとめてみました。

目次:コンテンツ構成

アルゼンチン危機の背景

南米において、アルゼンチン共和国は、ブラジル連邦共和国に次ぐ、第2位の経済大国(地域大国)で、1816年にスペインから独立して以降、広大で肥沃な国土を背景に農業や畜産業などを主要産業としています(工業や鉱業も発展)。

1980年代のアルゼンチンは、他のラテンアメリカ諸国と同様、放漫財政がもたらす累積債務問題とハイパーインフレに悩んでいましたが、1991年のカレンシー・ボード制の導入や政府による市場経済原理に沿った改革などにより、1990年代は国際信認が高まりました(1980年代の問題児から1990年代は優等生に)。

しかしながら、1999年のブラジル通貨危機を契機に再び躓き、2001年末にはカレンシー・ボード制崩壊に追い込まれ、以降、金融・経済危機を繰り返すようになりました。その背景(要因)には、政府が財政規律を守らず、また国民が変化を拒否する傾向などが挙げられます。

2001年-2002年:アルゼンチン危機

アルゼンチン危機は、2001年から2002年にかけて、アルゼンチン共和国で発生した通貨危機と債務危機のことをいいます。

2000年後半から同国政府債務に対するデフォルト懸念が急激に高まり始め、また大統領の度重なる交代劇などの政治混乱もあり、ついに2001年末から2002年初めにかけて「デフォルト宣言」や「米ドルペッグ制の放棄」など事態が急激に進展し、同国経済が大きく揺らぐことになりました。

・デフォルト宣言:政府対外債務支払いの停止
・米ドルペッグ制の放棄:カレンシーボード制の崩壊

アルゼンチン危機の背景

1990年代のアルゼンチンは、1991年にカレンシーボード制を導入したことにより、長い間懸案だったインフレ退治に成功すると共に、海外からの多額の資本流入によって高い経済成長率を享受しました(メキシコ通貨危機の直後の1995年は例外)。

しかしながら、1997年-1998年のアジア通貨危機、1999年のブラジル通貨危機(米ドルに対するソフトペッグ制を放棄し、ブラジルレアルが変動相場制に移行)を契機に、アルゼンチンへの資本流入が先細ると共に、同国の対外債務に対する信任が大きく低下することになりました。

アルゼンチン危機の発生と対応

当時、アルゼンチンの状況としては、米ドルの上昇などによる貿易赤字が拡大し、景気悪化と財政赤字、そして巨額の対外債務膨張に直面することになりました。

さらに、2000年秋からは、国債金利上昇など金融市場が不安定さを増し、国際通貨基金(IMF)が支援に乗り出しましたが、2001年末にデフォルト(対外債務の支払い停止)を宣言することになりました。また、2002年2月には、変動相場制に移行し、ペソ相場は大幅に下落することになりました。

なお、その後は、世界的な鉱物資源などの価格上昇を追い風に貿易収支が改善し、アルゼンチンは、2005年の民間債務再編を機にデフォルト状態を解消することになりました。

アルゼンチン危機の特徴

2001年-2002年のアルゼンチン危機の特徴として、以下が挙げられます。

・カレンシーボード制の崩壊とそれに伴う混乱が非常に大きかった
・債権者が個人投資家を含めて海外に拡散していたため、債務危機への対応や解決がより複雑なものになった
・アルゼンチンがIMFや債権者との対立姿勢を強く打ち出したため、国際金融界から孤立することになった

2014年:テクニカル・デフォルト

アルゼンチンは、2005年の債務再編を機に国際金融市場への復帰を目指していましたが、2014年7月にホールドアウト債権者との交渉が合意できなかったことから、債務再編に応じた債権者に対する利払いを判決上することができず、7月31日にテクニカル・デフォルト(支払余力があるにも関わらず債務返済不能)に陥りました。

※ホールドアウト債権者:債務再編に応じなかった米投資ファンドなど一部の債権者のこと。

|2016年|
アルゼンチン政府が主要なホールドアウト債権者と債務支払の和解条件(返済案)で2月に合意し、4月に返済案を実行した。2014年7月に利払いが滞ったことで事実上のデフォルト状態に陥っていたが、約1年9カ月ぶりに解消された。また、同年4月に15年ぶりに起債を行い、国際金融市場にも復帰した。

|2017年|
アルゼンチン政府は、償還までの期限が100年に及ぶ「超長期債(100年債)」を発行した(発行額は30億ドル、利回り7.9%)。

なお、アルゼンチン政府は主要債権者と和解したものの、同国の法廷闘争はまだ終わっていません。

2018年-2019年:通貨危機の再来

2018年になって、好調な米国経済を背景に、米長期金利の上昇により新興国から資本流出が起こる中、アルゼンチンでは、2018年4月から6月までの約3カ月間で、アルゼンチン・ペソの対ドル相場の下落幅が最大で約3割に達しました(通貨安によるインフレも深刻化した)。

この危機に対して、アルゼンチン政府は、通貨防衛のため、痛みを伴う改革を同国に迫るIMFの支援を受け入れました。その条件として、2017年にGDP比で3.8%だった財政赤字を2020年までに均衡させる必要がありました(財政再建には、増税ではなく、支出削減で対応)。

|2018年4月27日|
中銀が政策金利を年30.25%に緊急利上げ。

|2018年5月3日|
中銀が政策金利を年33.25%に再利上げ。

|2018年5月4日|
中銀が政策金利を年40%に再々利上げ。

|2018年6月7日|
IMFと500億ドルの融資枠設定で合意。

|2018年6月20日|
IMF理事会、融資第1弾の150億ドルの実行承認。

|2018年8月13日|
トルコショックの波及でアルゼンチン・ペソも急落し、対ドルで史上最安値を更新し、通貨防衛から政策金利を年45%に緊急利上げ。

|2018年9月3日|
貿易振興策を一時的に撤回。2019年に基礎的財政収支を黒字にする緊急財政再建策を発表。

|2019年4月5日|
IMF理事会、約108億ドルの融資実行を承認。

|2019年4月29日|
ペソが過去最安値を更新する(年初からの下落幅が対ドルで17%を超える)中、アルゼンチン中銀が為替介入を予告。

|2019年8月12日|
大統領選挙の予備選の結果を受け、ペソが大暴落し、また債券相場も株式相場も大暴落し、経済は大きく混乱(デフォルト懸念)。

|2019年8月28日|
対外債務とIMFからの借入について返済期限延長の意思を表明(デフォルト懸念増大)。

2020年:9回目のデフォルト

世界的なコロナ危機の中、アルゼンチン政府は、2020年4月から国債の利払いを止めており、5月22日午後6時が利払猶予期間(グレースピリオド)の期限となっていました。

アルゼンチン政府は、650億ドルに上る国債を保有する米欧の機関投資家との債務再編交渉について、グレースピリオド中の決着を目指していましたが、3年間の支払い猶予を求めるアルゼンチン側と、期間の短縮を求める債権者団が折り合えませんでした。

これにより、事実上の債務不履行状態となり、6年ぶり9回目のデフォルトが確定しました。

|2020年5月22日|
この日が最終期限だった外国通貨建て国債の利払い約5億ドルを実行せず、史上9回目のデフォルトに陥った(債務交渉は継続)。

|2020年8月4日|
アルゼンチン政府は、主要債権者と650億ドル規模の債務再編で合意し、同国がデフォルトから立ち直る道筋を整えた。政府側は約45%の債務減免という果実を得たとのことで、今後は、IMFとの追加支援を巡る交渉や資本流出対策に取り組むことになった。

|2022年5月31日|
日米欧などで構成するパリクラブ(主要債権国会議)に対する債務について、返済期限を2024年9月まで延ばすことで合意。

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